東京高裁は、7月9日(金曜日)、石川一雄さんの第二次再審請求を棄却しました。部落民である石川さんは、無実でありながら、1963年狭山で16才の少女を殺害したかどで31年間も獄中に囚われました。この高裁の決定は、断じて許されるべきではありません。
石川さんは、1963年5月、埼玉県狭山市において、女子高生・中田善枝さん誘拐・殺害事件の被疑者として逮捕されました。この事件は「狭山事件」として広く知られています。
部落解放同盟や支援運動は、警察の予断に満ちた逮捕・起訴は、部落民に対する継続的な差別の一環として批判してきました。他の日本人と同じ人種・民族である部落民は、封建時代以来数百年の間、差別的予断と偏見の的にされ続けてきました。
警察による乱暴で差別的な取調べにより、石川さんは、逮捕直後に当初嘘の自白をさせられ、1964年浦和地裁において死刑判決を受けました。
しかし、石川さんは当初の自白を覆し、東京高裁に無実を訴えました。無実を示すたくさんの証拠があったにもかかわらず、東京高裁は、1974年に石川さんに無期懲役の有罪判決を下しました。1970年代に部落解放同盟や労働者市民が大規模な差別裁判反対の集会・デモを展開しましたが、最高裁判所は、1977年8月に石川さんへの無期懲役判決を確定しました。
石川さんは、こうした攻撃にもめげず、1977年に獄中から第一次再審請求をしました。この再審請求が、1980年に東京高裁、1985年に最高裁で棄却された後にも、1986年に第二次再審請求に打って出ました。1994年には、石川さんはついに31年間の獄中生活から釈放されました。
31年間の獄中生活による精神的な不安定や社会的適応の困難にもかかわらず、石川さんは支援者たちの継続的な支えもあって生活を再確立し、1997年には長年の支援者の一人と結婚もしました。1994年に出獄して以来、石川さんは、部落解放同盟が組織する取り組みに頻繁に参加し、部落差別に反対して活動し続けています。
第二次再審請求において、石川さんの弁護団は、東京高裁に無実を示す新証拠を提出しています。その代表的なものは次のようです。
* 専門家の鑑定によると、中田家に届けられた脅迫状は石川さんが書いたものではないこと。
* かつての捜査官の証言によると、中田さんの万年筆が石川さん宅から発見されたとする警察の主張が、家宅捜査の状況からしてまったく疑わしいこと。
* 脅迫状には軍手の跡があり、石川さんの自白と矛盾すること。(6月10日に弁護団から提出された)
こうした無実を示す数々の証拠にもかかわらず、東京高裁の高木裁判長は、かつての判決には疑う余地がないと言い放ち、すべての証拠を門前払いしたのです。この再審請求棄却は、まさにはびこり続ける部落民に対する差別そのものです。
東京高裁による部落民差別糾弾!
すべての部落民・労働者・市民は団結して、部落解放のために闘おう!