〈コム・未来〉両グループへの分岐の一思想的背景

02・1・6 伊藤一

はじめに ― 官僚主義的組織運営をめぐる対立、革命党の必要条件をめぐる対立の土台にある両グループの相違点

 コム・ネットの前身である〈コム・未来〉の「民主派」→「三者共同議案グループ」は、「生田議案グループ」幹部による官僚主義的・組織私物化の組織運営に反対し、民主的で透明な組織運営を要求して闘い、組織の分離に至った。
 すなわち、官僚主義的組織運営を許容するかどうかが両者を分けた。
 しかし、とはいえ、「生田議案グループ」も、官僚主義の克服や、古い官僚主義を越える協同性などを声高に繰り返してきた。この面で見れば、両者の違いは、官僚主義批判をタテマエに止めるか、本気で取り組むのかの違いということになる。
 問題は、これが、単に姿勢の強弱、まじめさの度合い……等々の量的な違い、傾向の違いなのか、それとも、革命論をめぐる質的な違いが結びついているのかである。
 もう一つ、両グループを分けた論点は、「生田議案グループ」が、かれらの著しく低い理論水準(たとえば先行する左翼潮流に比べてはるかに貧弱な内容)、あるいは労働者住民やその諸運動との結合が未だほとんどできていない段階で、安易に「党」(またはそれに直結する組織)への移行をなし崩しに推し進めようとしたことと、それに対する「三者共同議案グループ」の批判的立場との対立である。

 これらの、組織活動の官僚主義をめぐる対立や、「党」の要件・必要条件などをめぐる対立の土台には、階級闘争観の質的な違いが存在した。
 「生田議案グループ」は、政府・資本に反対することで、基本的に、自分たちの「プロレタリア的立場」「階級的立場」が保証されるという階級闘争観に立っている(自覚的にか客観的にはともかく)。そのため、その立場に立って革命党建設に取り組む自分たちは無条件に正当性を主張できる存在であると自認できた。
 それに対して、「三者共同議案グループ」は(やはり自覚的にか客観的にかはともかく)、労働者住民の側の相互関係の変革までを含めた変革内容・展望の革命的性格を、体制変革の不可欠の要件と捉えている。そのため、「党」や労働者住民の諸組織・運動での官僚主義克服の課題も、革命の正否を分ける問題となるので、タテマエで済ますことはできない。

 仮に、権力打倒によって、労働者階級の根本問題が解決するという体制変革論に立って革命運動を推進するならば、その政治的・軍事的効率のために、革命組織の上意下達や閉鎖性、性差別・能力差別などを甘受する実践に抗することは難しい。あるいは、この革命論を根本に持ちながらも、官僚主義克服、差別などとの対決を、「大衆に奉仕する作風」など活動作風や姿勢の問題などで真面目に追求した多くの潮流がある。しかし、この領域を従属的な位置に置く古い革命論を前提としながら、この領域それ自体も重視して追求しようとする活動は概して成功しなかった。―この旧来の革命論の前提下では、その革命論が要請する運動法則によって、最も献身的で積極的な層が、党内官僚主義などを「内部問題で些細なことであり、それにこだわりすぎて、より『根本的な問題』に力を集中することを妨げ、権力に対する戦列を弱めることになってはならない」などとストイックに自制し、(しばしば重いジレンマを感じながら)こうした運動構造を支え再生産してきたのである。

 「生田議案グループ」が、政治的な闘いの効率と、組織内の官僚主義・閉鎖性などとの(表面上の)矛盾を真面目に考え、ジレンマを感じながら、あえて上意下達・組織私物化による組織統制を試みたのかどうか(たとえば、運動の利益のために、若干の罪悪感を感じながらも原稿握りつぶしなどをあえて行ったのかどうかなど)を私は知らない。このようなジレンマの中でまじめに考えて壁にぶつかりながら活動したり消耗した党派活動家を私は多く知っている。それに対して、「生田議案グループ」の、底なしの組織私物化やウソの乱発、財政乱脈などが、こうした真摯さをもつものとは到底思えないが。―しかし、それは、ここでは根本問題ではない。
 「生田議案グループ」は、タテマエで、”スターリン派などの官僚主義を克服する新しい運動を作る”と繰り返しても、実際は、組織の官僚統制・私物化に何のためらいも自制もなく突き進んだ。この彼らの活動は、彼らの狭い「政治」の私的利害のために、労働者住民の自己解放の根本である、人々の自主的で対等・透明な関係を成長させるべき課題を根こそぎ破壊するものであった。彼らは、そのことを少しもいとわなかった(そのことを証明され批判に直面したときだけ動揺を示したにすぎない)。この活動を正当化する革命論上の根拠が、もしあるとするならば、それは、自分たちは資本・権力と闘っているのだから無条件に正当である(何をやっても許される)という思想であり、権力をとれば、すべて解決するという旧左翼思想の小規模な亜流なのである。
 この旧左翼の思想に安住または依存することを厭わないのか、その根本からの点検・変革を不可欠と考えるのかの違いが、「生田議案グループ」と「三者共同議案グループ」とを分けている。

 ところで、政府・資本に反対することで、階級的立場の根本が保証されるという思想は、共産主義運動の中で、「経済主義」と呼び慣わされてきた思想の一現象形態である。
 「経済主義」とは、職場での雇い主との対立の意識を階級意識の源泉と捉える思想を指している。
 この思想は、しばしば、「政治」や「党」に消極的な思想と思いこまれていた。しかし、反対に、この思想は、階級的立場を(資本家への反対によって)簡単に基礎づけられと思い込めるので、“あとは党組織建設の形式面や政治闘争の形態面を考えるだけで充分”という党建設や政治闘争への安易な考えの源泉にもなる。
 今回、「生田議案グループ」が、彼らのおどろくほど低いレベルで「党」を強弁した思想は、この性格をもっている。

 残念ながら、第一期〈コム・未来〉では、官僚主義的な組織活動をめぐる生々しい論点がもっぱら前面に出ざるを得ず、双方の思想的な相違点を論議の俎上に乗せて検討することはほとんど出来なかった。
 しかしながら、その背景にある思想的対立の根本性格は、〈コム・未来〉発足直後の第一回全国調整委員会の論議で、いいだもも氏執筆の「第一決議案」と、それに対する阿部治正意見との論点に、すでにはっきりした形をとっていた。
 分裂した両グループの比較・検討は、いろいろな側面からできるが、私は、ここでは、以上の面を中心においている。

 両グループの対立点については、「三者共同議案グループ」―コム・ネットのなかでも、当然、様々な見解があるはずなので、他の理解との対比や討議も進めたい。

 (これは、10・20コム・ネット発足総会に提出した意見の中の、「1、両グループへの分岐の思想的背景について」に、「はじめに」と「最後に」の追加を中心に補筆したものです。
 先に提出した「建党協「統合路線」の最期の姿―第一期〈コム・未来〉での建党協」(『国際主義』41号)同様に、この一文は、分裂した両グループの相違点や相手グループである「生田議案グループ」への批判点の整理に課題をしぼっています。この意味で、これは〈コム・未来〉総括のための各論として作成したもので、われわれ自身の総括には、ここでは未だほとんど踏み込んでいません。
 (今回、同時に掲載したものでは、津村氏の「生田あい事務局長の組織システム批判」も似た性格となっています)
 われわれ自身の総括に際しては、両グループの相違を踏まえた上で、われわれが、この相違を捉えられなかった面、あるいは、両者の共通面(肯定的な共通面も、われわれの誤りや曖昧さの結果としての共通面も)にまで踏み込む必要も出てきます。10・20には、このごく一端を提出しましたが、これは、今後整理を進めなければならない課題と考えています)

 (一) 思想的対立点が明瞭になっていた第一回全国調文書をめぐる論点

 以下、本論は、(コム・未来)の二グループへの分裂の背景となった思想的対立点が、〈コム・未来〉発足の年である99年の第一回全国調整委員会での、いいだもも氏執筆の「第一決議案」と、それに対する阿部治正氏の意見書との間の論点に表れていたことを起点に、この対立の一面を整理しようと試みた。
 私は、ここで、社会保障・介護保険をめぐる対立部分を取り出し、阿部見解を支持する立場から、この対立の性格を検討した。ただし、この文での、対立点の性格規定や阿部見解の評価は、もちろん私の規定や解釈であり、阿部氏には、その内容への責任はない。

 いいだもも―阿部治正両氏の論議には次の論点がある。
 いいだもも文書は、当時の社会保障、介護保険をめぐる状況を「生活と権利」に対する「全面的な剥奪・切り下げ」と捉えている。それに対して、阿部文書は「介護保険制度について言うならば、これを現状の介護保険よりも劣悪だ、改悪だと主張する人々(新左翼のほとんど)もいますが、一面的な論議です。介護保険制度は、『介護不安』『介護地獄』にさらされた労働者のせっぱ詰まった介護要求に対する資本家的対応策と見るべきです」と、労働者の側からも家族介護依存などの従来の介護制度変革が求められていたことを踏まえて、介護保険導入の基本的階級を捉えてゆく。阿部氏は、「……介護保険制度より現状の制度のほうがましだという新左翼の主張は、驚くべき現状美化というほかありません」と述べ、介護保険を権利剥奪・大衆収奪とだけ捉える見解は、客観的に、現在の介護状態の存続を求める主張になることを批判している(現状を「家族介護の美風」と称して介護保険導入に反対した亀井静香のような人もいたが)。
 ところで、第一回全国調整委員会のあと、喫茶店の論議=雑談の場で、この論点が話題にのぼり、津村氏と私はこれを積極的に支持したが、生田氏は「改良主義的傾向」などと批判した。
 ところが、その後、いいだ氏から、”阿部意見は自分の言いたかった内容で賛成”という意向が伝わり、生田氏は阿部見解への批判を途絶えさせた。
 しかし、生田氏は、『未来』原稿などで、その後、何回も、元のいいだ見解にそった記述(=「介護保険」を単純に反対・粉砕対象とする表現)を行い、その度に批判を受けては“筆が走った”などと引っ込めている。すなわち、タテマエとしての阿部見解の「承認」と、実際の不承認との同居を、いくども露呈させた。
 ―この論議によって、「生田議案グループ」の思想的特徴の一端が浮かび上がっている。それは、第一に、阿部見解が批判したいいだ見解の内容そのものだが、それだけでなく、第二に、その論点の公然化を嫌うというもう一つの特徴である。 

 いいだ文書、および生田氏の訂正前(?)の見解は、介護保険の実状を捉えていないという事実認識の弱さだけを意味するものではない、と私は捉えている。この見解は、介護保険をめぐる社会関係を全面的・具体的に把握することなしにも、それをめぐる政府・資本の収奪強化や権利抑圧の攻撃を一般的に批判すれば(通例のほとんどの政策に、様々な度合いで、この性格は含まれているので)それで介護保険に対する階級的評価、階級的―革命的立場を確保できるという思想の現れである。
 そして付け加えると、このように一般論で「階級的立場―階級的団結」を確保できると捉えるため、それ以上、論点を掘り下げることでで「団結」が崩れることを嫌い、それゆえ、思想闘争やその公開を嫌い、論点をあいまい化しようとする姿勢にいつも傾いてゆく(だが、このような「団結」は、労働者住民の自主性の成長の上に豊富化される団結ではなく、一枚岩的な画一性であり、労働者住民の関心を狭めることをもって追求される減点法的「団結」であり、党官僚にとってだけ都合のよい「団結」であろう)。
 ―「生田議案グループ」が想定する「党」は、様々な情勢・課題に対して、こうした一般論的な政府・資本批判で、階級的・革命的役割を果たすことができると考えている「党」である。そのため、かれらは、じつに安易に「党」を語ることができる。

 (二)「経済主義」と「党」「政治闘争」「広い社会的関心」との関係

 この思想は、スターリンを筆頭とする旧左翼に共通する「経済主義」的階級闘争観である。
 「経済主義」とは、職場で雇用主に対立する意識をプロレタリアの階級意識(階級的利害への意識)の源泉・基礎と捉える思想を指している。この思想の誤りは、たとえば、職場が倒産して当該の雇い主と労働者の関係自体がなくなってしまう局面や、就業労働者と失業者との関係などの面に鋭く現れる。これは、剰余価値生産をめぐる誤解と照応しているが、これは別にあつかいたい(IEGの〈展望〉やその解説など参照)。
 「経済主義」は、党建設や政治闘争に否定的・消極的という誤解が多い。
 しかし、この階級闘争観に立つと、革命理論・方針面は簡単に解決済みにできたと思い込めるので、あとは、「党」や「政治闘争」の組織形態面や実務的建設に専心するだけで「党建設」を推進していると自認できる。そのため、「党」や「政治闘争」への一面的なまい進につながることが少なくない。スターリン派はその性格を内包している。
 一般の印象とは違って、上述の思想からの「党」や「政治闘争」は、(ゆるい、分散的なものではなく)しばしば、閉鎖的な内向きの「強い」結束、形式主義的な硬直性を持った組織活動などを特徴とする。
 また、「経済主義」は、職場内に関心を狭め、社会への広い関心を持たないという誤解も多い。
 しかし、この階級闘争観に立つと、各国や国内で体制と矛盾を持って取り組まれている様々な運動について、いずれの運動も積極的で階級的という一般的賛美で基本的な評価を行えたことになる。その「広い」評価を元に、これらの運動に「広く」連帯しているつもりになることができる(この場合に、この立場から出てくる特徴は、それら既成運動の現状に対する保守的側面への賛美であり、その変革をめぐる相互の論議を嫌い、制動する傾向に陥ることである)。
 ―「生田議案グループ」幹部メンバーは、「経済主義」のこれらの諸側面を、それぞれに表現した。「党」の形式主義的重視・閉鎖的結束重視(室井)、様々な運動への一般的賛美(いいだ)、「党」の形式的形成と私的主導権確保重視(その下への前二者の思想の混在)(生田)という諸傾向である。
 生田氏、室井氏などの「党」の閉鎖的・形式的な統制機能重視は、スターリン派など既成左翼にごく一般的に見られたおなじみの傾向である。
 いいだ氏の「広い」社会的関心は、たとえば、昨日はインドネシア(東ティモール独立)今日はフィリピン(アロヨ政権樹立)が世界的激動の発端だと手放しで賛美してまわることに忙しい。東ティモール独立をめぐって、津村氏が、グスマン派の戦術に疑問を提出したことがあるが、それに対して、いいだ氏は、「要は連帯すべき両主体が戦略的熟慮の上に選択しているコースに、観念的・外在的な批判がましいことを提起すべきでないということに尽きる」(『未来』4号)と津村見解を批判する。このように、担ぎ上げた既成運動に対する一般的賛美を要求し、その根本的な検討や疑問・批判を抑えつけようとするところに、この思想の守旧性、統制的性格が表れている。これは、80年代以後の日本の左翼運動・市民運動の官僚主義を温存・促進した思想である。

 ((注)この思想は、歴史的には、日本の60年代までの日本共産党や新左翼各派が、自派以外の労働者住民の運動に対して、否定面を一面的に批判・断罪する統制的傾向に対するアンチ・テーゼの性格をもって70年代に成長した。しかし、この「多元性承認」思想の一面的な成長、すなわち他の諸運動への一面的賛美の強要も、上述いいだ意見に象徴されるような統制的性格を生み出した。
 われわれIEGは、70年代のこの試みを切り捨てるのでなく、その発展的意味を踏まえたうえで、さらに一段の克服・発展が必要であることを主張してきた〈『国際主義』26,27号など))
 
 「経済主義」には、理論性格上で、二つの傾向がある。
 一つは、理論的・自覚的に、経済闘争を階級意識の源泉であると規定し、または反政府・反資本の意識が階級意識であると規定して、それに基づく階級闘争を追求する立場である。日本では、この首尾一貫した体系は、社会主義協会や60年代の社青同解放派などに見られた。日本共産党も(多少折衷的なところがあるが)剰余価値搾取や生産関係転換の理解など根本的なところで、「経済主義」の体系に立っている。
 それに対して、「生田議案グループ」は、こうした体系に自覚的に立脚しているわけではない。こうした領域を曖昧にしているが、もし質問すれば、自分たちはスターリン派とも協会とも違う理論をもっていると言い張るはずである。
 かれらの「経済主義」は、こうした理論体系としての性格ではない。かれらの「経済主義」は、著しく不充分な内容しか持たない者(政治勢力など)が、それに不相応な立場(=彼らの場合は「党」など)を装おうとする際に出てくる性格である。こうした場合に、手軽に依存できるものとして、自分たちの「党」は、政府・資本に反対しているから階級的・革命的で正当である、という論拠に客観的によりかかるために、「経済主義」的思想性格を客観的に帯びてゆくのである。
 介護保険に対して、「大衆収奪」「権利剥奪」で基本評価を済ませたように、さまざまな領域に対して、同じことを積み重ねて、「党」としての階級的・革命的立場を持ち得ていると自認できる考え方が、客観的に「経済主義」の性格を再生産してゆく、ということである。
 したがって、「生田議案グループ」に対して「経済主義」と規定したところで、特別、鋭い批判の切り込みが出来るというものでもない(また、そのような理論的批判を必要とするグループであるかどうか自体が疑問だが)。ただ、かれらの官僚主義的な組織活動観や党の要件についての考えが意味するもの、あるいは対極に見えるいいだ氏の「広い」社会対象への評価と室井氏の「超古典的」な閉鎖的な機械的党観など、これらが、なぜ、どのような構造で「生田議案グループ」の中で同居しているのか、なぜ、それが、「生田議案」という形で結束したのか―――「経済主義」的革命観という窓から見ると、この構造の一面が鳥瞰できるということである。

 (三) 旧左翼思想と「生田議案グループ」―建党協幹部思想との相違点―特異な折衷性

 「生田議案グループ」の土台は、旧左翼の出来合いの思想であるが、「生田議案グループ」は、典型的な旧左翼思想とは異なる特徴がある。「新しい思想」との折衷である。

 スターリン派を中心とする旧左翼思想=政府・資本への反対で階級的立場が基本的に確保できるという階級闘争観は、“政府・資本への反対→権力獲得、プロレタリア権力の資本収奪=国有化で、資本主義的生産関係を基本的に廃絶でき、階級を廃絶できるので、労働者がかかえる様々な社会問題を解決できる”という革命論を前提としている。そしてその限りで、一定の整合性を主張できる革命観となっていた(「国有生産手段」と「生産関係変革」との関係、「階級廃絶」理解などに根本的誤りがあるが、それは別に)。

 ところが、「生田議案グループ」は、この革命論を「国有社会主義」などと否定しながら(私の印象では、かなりムード的な安直な「否定」だが)、古い階級闘争観に依存して「党建設」を想定する。
 この折衷の性格は、建党協が、その形成の基盤である80年頃を中心とする日本の広義の「労働情報系」運動から継承し、否定的な方向に成長させたもので、「古い左翼思想(基本思想)」を「新しい運動観」のヴェールで隠す性格をもっている。これは、70年代に、日本の左翼諸党派が、差別糾弾などに直面して、従来の政治路線では応えられない事態に置かれたときに、左翼陣営に強まった傾向であった。それは、従来のそれぞれの左翼党派の思想・路線を奥にしまいこみながらも温存し、表面上は、個別の差別糾弾や住民運動の方針などを、すべて受動的に受け入れる姿勢を取り続けるという形を取っている(=差別糾弾への自己批判など)。
 この思想は、次の正反二つの面をもっている。
 @、否定面としては、上述のように、新しい装いの下で旧路線を温存する、という性格である(旧路線・組織の延命策として「新しい思想」を装うための折衷面)
 A、肯定面としては、左翼が旧路線を脱却できていない段階にありながら、提起されている差別問題などに対して、それをはねつけるのでなく、それを受け入れ応える追求を行なった面である(党派活動家でも、現場のまじめなメンバーの多くは、この姿勢から、差別批判などに真剣に応えようとしていた)。すなわち、変革への過渡としての折衷面。
 ―建党協幹部は、現在では、@の否定面だけの状態に限りなく接近している(@そのものだと言っても誹謗にはならないほどの)。
 建党協幹部は、「新しい思想」を装うために、その基底にある「旧思想」を表に出すことを極端に嫌う。
 これは、旧思想の内容から叙述形式までを公然と中心にすえる室井氏など労社同非主流グループの折衷とは性格を異にしている。そのため、生田氏は、室井氏の「プロレタリア政党の組織路線は如何にあるべきか」(『未来』5〜7号)の連載中断を強硬に主張した(その中断の源を私に押し付けたらしくもあるが。――私も阿部氏も、内容には多大の批判があるが、連載継続論であった)。
 両者はこうした差異があるが、既存思想に依存して党形成できると捉える点では(容易に、スケジュール的な討議でできると捉える点では)一致する。また、建党協幹部は、建党協が形成される過程、すなわち、ブントを「潮流を越えた統合」を称し、ブントなど「新左翼」と毛沢東派など「旧左翼」との合流を実現したと評価した。しかし、その際に、「旧左翼」に対する批判・克服の姿勢、特に、旧左翼の権威主義的な組織活動姿勢への批判を投げ棄て、そのミニチュア版を形成してゆくことになる。
 いずれにしても、スターリン派など旧左翼が、その活動展開期には、自分の体系にそれなりの自信を持ってきたのに対して、建党協は、その強度の折衷性ゆえに、自分の思想・方針への自信欠如をいつも(自覚的に、また漠然と)実感せざるをえないはずである。それは、他見解に対するへの日常的な過敏反応を生み出すことになる。―異論の投稿一つ一つにピリピリしたり握りつぶしたりすることを筆頭に、私は、彼らと身近で活動して、このことを強く実感させられた。

 建党協幹部系も、労社同非主流派コムグループ系も、旧左翼思想を土台に持つ点で変わりない。ただ、労社同非主流派系は、それを隠さず、建党協幹部系は、それを必死に隠そうとするところに違いがあった。そのため、労社同非主流派系の方が、折衷=不整合の性格がより明瞭に浮かび上がる(「最後に」参照)。
 いずれにしても、共産主義運動を根底から再構築しなければならない現在、大きい折衷や不充分性をかかえることなく、その過程を進むことが出来る思想・組織などありえない。「生田議案グループ」が、いかに大きい折衷を抱えていたとしても、そのことを自覚し、それを隠すことなく提示して、同じ課題をかかえている者と対等な立場で協議してゆく姿勢をもったならば、その不整合を発展のバネにする可能性もあったかも知れない〈私は、〈コム・未来〉発足前、[*******」の時期に、建党協と生田氏の理論に対するこの評価を生田氏に率直に話したことがある。生田氏は、そのときは真剣にうなづいていた《ように見えた》。実際にどうであったのかは、いまとなっては明らかだが)。
 しかし、これほど露骨な折衷・不整合をかかえながら、自分たちは、従来の共産主義運動を越える「党」の入り口を獲得したかのように語り、批判的見解を官僚的に排除したり握りつぶしたりすることをためらわずに「党」(またはその前段組織?)への移行を〈コム・未来〉に押し付けようとするに至っては、もはやどんな可能性も残りようがない。

 (四) 「三者共同議案グループ」の特徴

 「三者共同議案グループ」メンバーは、色々な見解を内包しているが、上述「生田議案グループ」の特徴との対比では、客観的に、次の概括的な性格を持つと私は捉えている。
 それは、資本・政府の側への批判、その打倒だけで無産者の解放・人間解放を達成できるとは考えず、労働者住民の相互関係の側までを含めた自覚的な社会変革を必要と考えることである。
 旧左翼の革命論では、労働者住民の側の相互関係(たとえば、その内部の抑圧的・差別的、旧来的関係を発展的に変革し労働者住民の関係を新しく創造すること……これを、とりあえず「社会革命」と概括することもできる)は、権力問題に従属する位置に置かれ、権力奪取によって基本的に解決されるものとされていた。この思想は、闘争組織内の官僚主義、党内差別、閉鎖性や排他性、上意下達と各個人の受動性強要などを「権力闘争のため」という口実で許容する条件を持った。
 この論理は、一元的な体系性を構成しやすく、明快なため実践過程で依拠しやすく普及しやすい。反対に、闘争主体の側の相互関係までを同等の位置に置く体制変革の全体像を提出することは、容易とは言えない。
 しかし、共産主義運動の壮大な破綻を克服するために、容易でないとしてもこの課題は不可欠である。
 「三者共同議案グループ」は、『未来』に発表されたものに限っても、この特徴を見ることが出来る。
 先にあげたいいだ見解に対するワーカーズ・ネットワークの阿部氏の見解は、この理論性格の一表現に見える。
 ワーカーズの「アソシエーション論−対抗戦略」や橋本剛氏の「非暴力革命論」も、体制変革の全体像のなかに上述の内容包摂を自覚的に求める性格を持っている。
 われわれ『国際主義』編集会議は、この問題を、資本主義国家−過渡期での「政治」「社会」または「政治革命」「社会革命」の相互関係をめぐる問題を中心に提出した。
 (ワーカーズ飯島見解やわれわれ『国際主義』編集会議津村・伊藤見解は、プログラム論議参照、橋本見解は連載論文「暴力原理の地平の終局的のりこえのための非暴力革命」12号〜14号参照)
 「三者共同議案グループ」メンバーは、様々な内容、様々な側面からであれ、階級闘争を労使対立や権力問題に還元する経済主義、あるいは上述のような折衷主義を受容できない思想を持ってきたと私は考えている。
 これらは、相互に論点もあり、重点の違いもあり、相互批判もあるはずだが、体制変革−労働者住民・全人類の解放を、狭い「政治」の領域で解決済みとはできないと捉える点では共通している。それゆえ、理論的にも個々の活動内容をめぐっても、論議をかみ合わせ切磋琢磨して練り上げて行く協同の作業が可能と私は捉えている。

 権力問題に還元する体制変革論に比べて、その克服を追求するこれらの方向は、共産主義運動、人民運動の歴史の中で、その確立度合いも、それに照応する実践的蓄積の度合いも著しく低い。しかし、従来の共産主義運動挫折の総括も、また、「新しい社会運動」などと呼ばれるものを含めて、現在の様々な運動が萌芽的に形成しつつある運動性格の多くが、この方向を示し始めている。
 その内容を、基本思想の面でも、様々な運動性格の面でも、根本から点検し練り上げる姿勢・決意を持って、21世紀の階級闘争・革命運動に取り組むことが求められていると思う。

 最後に

 われわれ「三者共同議案グループ」と「生田議案グループ」との間には、革命論をめぐる理論的違いも、また、討議の仕方などより身近な問題をめぐる大きい違いも存在した。理論性格と組織活動の性格との関係は、ときに、なかなか分かりにくいが、この両者が結びついた象徴的な場面がある。

 コム・未来のプログラム討議のための最初の合宿(00年12月)で、「社会革命」が論議に上った局面(二日目)があるが、その討議過程で、尾形憲氏が、プログラム提案者の一人である室井氏に対して「社会革命」の(独自)領域をどのように考えるのかをを質問した。室井氏は、「権力奪取」以外の領域が存在することを(かなり長々と)強調したが、内容は不明瞭だった。尾形氏は“それなら(「社会革命」の独自領域などと言うまでもなく)剰余価値搾取の廃絶と言えばすむのではないか”と評した。それに対して、室井氏は、再度、さらに長々と約20分に渡って、「そうではない」と繰り返した。そこでは、「社会革命」の内容は何も出されず、“「権力奪取」とは別の領域もある、それは剰余価値搾取の廃絶だけでない、しかし権力奪取は重要だ”――ということを、延々と堂々めぐりしたのである。
 後に、「三者共同議案グループ」メンバーの幾人かで話した際に、尾形氏の質問・指摘はなかなかポイントをついていると評しながら、しかし同時に、室井氏の堂堂めぐりの弁明には相当にうんざりさせられたことも述べ合った。
 ((注)室井氏、尾形氏ともに現「生田議案グループ」メンバー)
 ただ、ここでとりあげたのは、室井氏個人が問題なのではなく、この室井氏の思想や対応が、「生田議案グループ」の折衷やその討議姿勢の一面を非常に鮮やかに表現しているためである。それは、室井氏の「折衷」が典型という意味ではない(この典型は先に述べた建党協幹部である)。「生田議案グループ」の中では(古い体系ではあるが)相対的に一貫性をもつように見える室井氏の革命観さえも、建党協幹部と類似した露骨な折衷をもつことが、「生田議案グループ」における折衷性の根強さを物語ったという意味である。 室井氏の旧左翼的な革命観では、「社会革命」は独立した位置を持っていないし持つことができない。室井氏の革命論は、「社会革命」を従属的な位置に置くことで権力問題に集約される一貫性を形成している。にもかかわらず、室井氏は、先のような質問に合うと、自説は旧左翼の革命論と違って「社会革命」の独自領域をもつという弁明を必死で行い、その折衷的な論理構造を浮かび上がらせた。
 結局、自分の古い革命観をあいまいにする建党協幹部も、それを隠さずに表明する室井氏など労社同非主流派も、自己の出来合いの革命観に、「社会革命」など「新しい」装いを折衷する構造では同一であった。ただ、室井氏など後者では、その「旧」「新」の折衷の不整合線の輪郭が、よりくっきりする。

 いうまでもなく、厳密には、折衷(理論的不整合)を抱えていない理論などありえないだろうし(数学でもどうだろうか)、追求途上のわれわれの諸理論は、いずれも、相当の不整合をいろいろ内包しているはずである。私がここで批判的・否定的に扱った「折衷的」とは、自分の理論のうちにある不整合を、克服・発展への矛盾と捉えるのでなく、それを自己正当化すること、許容することを指している。それは、自説防衛に汲々とする姿勢と結びつく。
 だが、建党協幹部も、労社同非主流派グループも、この折衷の性格を濃厚にもった。そして、こうした折衷が、どれほど論議を消耗にして論議の発展や理論的掘り下げを阻害するのかの一端も、ここに表れている。
 だれも、室井氏の理論を断罪したり、そのことをもって室井氏に政治的打撃を与えようなどと考えて「社会革命」問題を提出したわけではなかった。あるいは、その場で「社会革命」の内容提出を問い詰めたわけでもない。 
 室井氏は、真摯に革命論を深めようとするならば、自説の理論性格と「社会革命」とがうまく結びつかない事実を自己認識して(これは、上述のような質問をキッカケにすれば、難しいことではない)、そのことを討議に付したり、他説と比較検討するなど、自説を点検にかけることができたはずである。我々に必要なことは、自他の理論を、その強みも弱みも協同の討議俎上に乗せ、協力してより練り上げられた革命論を協力して獲得して行く姿勢であろう。それなくして、それぞれが自説を現状防衛し合うだけならば、「プログラム討議」の合宿などの直接論議に何の意味があるのか? それなくして共産主義運動の歴史的な混迷・挫折を打開する理論・方針に前進できるはずもない。
 これは、われわれ「三者共同議案グループ」にとっては自明の前提であった。
 ところが、反対に、室井氏が行ったことは、自説からは出てこないにもかかわらず、自分は「社会革命」の独自領域を承認している、と堂堂めぐりの「言い訳」で、合宿討議の時間を費やし、他領域の論議条件を削ったことであった。
 そして、類似した論議や独演で長々と時間をつぶすのは、室井氏が筆頭というわけではなかった。
 にもかかわらず、室井氏や、無意味に時間をつぶした「生田議案グループ」幹部ほど、合宿を幾度も行えば良いとか、時間を延ばせば「革命プログラムを獲得できる」などと言ってはばからなかったのである。「生田議案グループ」の主張では、合宿を増やすこと、時間を延ばすことが、「プログラム討議」成功(=彼らによれば「党綱領」獲得?)のほとんど唯一の「展望」になっていた。

 それにしても、〈コム・未来〉での討議では、上述のような「言い訳」が、何と多かったことか。別に合宿討議の場に限らず、建党協幹部は、何気ない政治討議の場で、突然「言い訳」をはじめて自己防衛のバリアーをはり、討議・協議の発展を押し止めることが珍しくなかった。覚えているものも忘れたものも相当にあるが、この中で室井氏の先の例だけを取り出したのは、「社会革命」絡みで性格がはっきりしているので良く覚えているためである。
 なお、これは、経験の短い活動家が、うまく表現できずに発言に時間をとったり、一般にも、難しい論議を、周囲の承認のもとで、互いに考えながら論議したり、ということを批判対象とするものではない。ここでイメージしている活動家は、いずれも、背中に苔の生えたような幹部連であり、彼らによる、探求のためでなく自説の保守的防衛や一方的押し付けのための「言い訳」や「独演」を問題にしたのである。

 「いかなる革命か」「いかなる党か」を協力して探る協議を行うことができず、既成の自分の立場を防衛することに汲々としているような場であれば、共産主義運動の歴史的な混迷を克服して、その再構築を進めるための協議会の性格などもちようもない。だが、「生田議案グループ」は、こうした性格を抜け出せない構造を持っていた。
 それは、生徒会でも、多少まともなところでは習得していそうな初歩的な討議の技術の欠如(=たとえば、全体の発言や時間配分を考えて、幹部の自己満足的な独演を自己規制するのか、野放図に自己許容するのか、などの初歩的なことを含めて)、またその背後にある革命論の性格にもかかわっていた。

 6月3日、総会で「三者共同議案グループ」と「生田議案グループ」とに組織的に分離した直後の「三者共同議案グループ」の会合で、われわれは“今、大きい解放感を感じている”と表明し喜び合った。その解放感の一つに、「狭い政略的配慮に阻害されることなく、率直な政治討議・理論討議ができる」ことがあがっていた。私も、それを強く表明した一人である。
 解放感の内容も、どの点で率直な討議が阻害されてきたと感じているのかの内容も、「三者共同議案グループ」会員それぞれで、色々な種類があるかもしれない。
 その中で、先の室井氏の例は、「生田議案グループ」の折衷的な理論性格が、率直な論議を阻害する構造を明け透けに見せた一例である。
 〈コム・未来〉の分裂は、直接は組織活動をめぐって起こっている。そして、それは、相当低いレベルの官僚主義や組織私物化をめぐるものであった。
 しかし、分裂した双方の組織活動の違いは、それぞれの革命論・理論性格をめぐる違いとつながってもいる。これは、その接合点の一例だろうと思う。


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